神楽への想い

 

 私が神楽に出会ったのは小学生の低学年のころであったと思います。(本当はもっと早く出会っていたのでしょうが覚えていない)そのころは母に背負われて春祭り、秋祭りの際、地元の神社で奉納される石見神楽を楽しみに家族で出かけたようです。特に秋祭り特別で、少し肌寒い時期に虫の声を聞く傍ら、鎮守の森へと足を運ぶのです。神社の舞殿に近づくにつれて、遠くから聞こえる神楽囃子に心が踊ったものです。そして毛布を片手に朝まで神楽という神話の世界へどっぷりと漬かるのです。大人たちは酒を片手に大いにはしゃぎ、鬼が出る頃には祭りも最高潮を迎えます。その神楽を舞う舞子の姿をみながら大人になれば神楽が舞いたいという強い衝動にかられたのを覚えています。とにかく舞子(特に鬼ではなく神)は憧れだったのです。つまり地域の誇りといっても過言ではありませんでした。

 子供心に神楽のある町に生まれ、数ある社中(神楽団のような存在だが、神社の氏子で構成された団体。現在は地域を越えて若者は様々な社中へ入り活動)が近所にあるということは最高の自慢だったのです。既にそのときから地域アイデンティティなるものを肌で感じていたのかもしれません。


その後大学へ進学し卒業を迎える訳ですが、実際東京の外資系製薬会社の研究室へ就職したいと考えていました。しかしながら地元に帰ることになります。その理由は何だったのか。母が余命いくばくかのガンにおかされたことと、神楽が東京にいては舞えないということです。それほど神楽は私の人生の中で大きな位置を占めるに至っていました。 帰省後は地元長澤神楽社中に身を置き、地元の神社奉納から全国、海外への公演に飛び回りました。その後西日本神楽大会、全日本石見神楽大会等の運営をお手伝い、たくさんの全国の神楽団体の方々との交流を行ってきました。

 またそのころから、神楽を支える職人さんたちとの交流がはじまりました。例えば石見神楽の豪華絢爛たる金糸・銀糸を使った衣装職人。今秋世界遺産登録予定の石州和紙を使った神楽面職人。同じく石見神楽の花形「大蛇」で使用する蛇胴職人。(地元職人考案で現在全国から注文がきています)これらの職人の匠の技なくして石見神楽も発展してこなかったのは間違いありません。私は石見神楽を世界に発信したいと考えていますが、そのためには影に隠れた職人の支援、今後の後継者育成が極めて重要と考えています。

 そのような想いの元、12年前から後継者育成と青少年健全育成の目的で、「いわみ子供神楽フェスタ」を開催、実行委員長として奮闘しています。この大会により神楽をさらに好きになり地元に残り神楽の継承に取り組む若者が増加してきています。まさに地域アイデンティティが定住化対策に寄与してくれた例として誇っています。

 現在神楽大会のみならず神楽を継承する子供たちの交流の場も設定しようと、実行委員会を「どんちっちサポートIWAMI」と名称変更し2年前から新体制で事業を行っています。その間、石見神楽市民大学や石見神楽を語る会等を設立し地域の誇りを地域の人間が再認識しようという仕掛けも取り組んできました。


 さて私はNPO法人A−GENERいわみという団体を主宰していますが、人材育成の目的が主でありました。しかし最近は地域資源の活用という観点から、神楽に注目。神楽面のデジタルコンテンツ化を手がけ地域活性化のツールとして検討を始め、一昨年は映画「さくら」という神楽をモチーフにした映画への出演、監修も手がけました。今後も神楽人生を多くの神楽仲間と楽しく過ごすことも私の生きがいの一つです。