子供達への想い

 

 私はこの10年間多くの時間を子供たちの学校環境整備やいじめ対策等の議論にさいてきました。具体的には中学校のPTA会長を長きにわたり勤め現場の多くの課題をしりました。また課題を抱える多くの子供たちが、愛情を求めていることも知りました。世の中飽食の時代を迎え、我慢や忍耐といった人間の生きていくうえで必要不可欠な要素が欠落してきていると実感しています。それはまさに大人がそうであり、その影響を子供たちが受けないわけがありません。結局家庭教育の守備範囲が狭くなり、それを学校や他の者に依存するという体質が見え隠れしているのではないでしょうか。

 子供たちは本来可能性の塊です。次代の地域はまぎれもなく彼らが支えていかなくてはなりません。しかしながら過度の期待が子供たちにプレッシャーを与え、逆に愛情の希薄が子供たちを迷走させているような気にもなります。子供たちの本質は決して昔から変わっているわけではなく、換わったのは彼らを取り巻く社会環境や価値観です。健全な子供たちを育成するために家庭はもちろん地域の大きな責務であるとも言えます。問題行動のある子供たちは、切り捨てるのではなくどう救い上げるかが基本スタンスであると思います。子供たちには思い切り、とんでもない健全な夢をみてもらいたいのです。ささやかでも自分の目標を持ってもらいたいのです。

 少子化が進展する中で地域の子供はやはり宝なのです。子供たちの元気な声が地域に溢れることを誰しも願っているのです。私は子供たちへの社会投資をさらに進め、浜田の子供たちは、夢へ挑戦する強い意思と故郷を大切にする心を持った人間に育ってほしいと願っています。大人はその支援をすればいいのです。子供たちの声なき声に耳を傾けましょう。ただし、人間としての礼節と他の人間への尊敬の念を持つことは徹底的に厳しく指導すべきです。

  誰かが言っていましたが、「社会を明るくする運動」、あれはだめだと!明るくするというのは光を当てること。光が当たれば必ず影ができる。そうではなく、「社会を暖かくする運動」への転換が必要。暖かくなるとどんな部分にも暖かい空気が流れ込み多くの子供たちも救われると!ではどうすれば暖かくすることができるのか?戦略を決めて上から下ろしていく方法ではやはり影ができます。下から、底辺からものを見なくてはならないと思います。森を空から見ても地面は見えない。しかし地面からは空の太陽の木漏れ日は見えます。大人社会が目線を子供に下げることは極めて大切だと最近つくづく感じています。