11月19日少し肌寒い広島空港を後に降り立った那覇では超暑い29度。実は私は今からかなり時間をさかのぼること16年前の2000年、喜納昌吉&チャンプルーの皆さんと出会い沖縄と浜田の絆づくりに関わりました。そのきっかけは、浜田節のルーツがハイヤの流れを汲むということを知った時からでした。ハイヤは沖縄の南風(はえ)が原点でその節は北前船により全国に伝わり今の形になったという!そういった中、浜田では全国ハイヤサミットが開催され、ご縁のできた喜納昌吉さんと浜田で石見神楽ジョイントコンサートを開催。また沖縄の宜野湾での平和のコンサートニライカナイ祭りが開催され浜田からも神楽合同チームを送りおおいに盛り上がったのが昨日のようです。その時に浜っ子ハイヤの曲を喜納昌吉さんに創っていただきました。今も浜田市で踊られているあの曲です。当時「浜っ子ハイヤの会」束本会長と亡くなった若手議員が沖縄に通いできた曲です。あれから十数年経過した今、私達も沖縄との交流に距離があきせっかくのご縁がもったいないなと思う日々を送っていました。実は今回11月上旬に久々にニライカナイ祭りへの参加のお誘いもあり絶好の機会と捉え当時の浜っ子ハイヤの会の会長と那覇へ飛び懐かしい喜納昌吉さんたちと再会を果たしました。奇しくもこの日私の母校昭和薬科大学の同窓会が付属高校のある那覇で開催。久しぶりの同期郵政との再会もあり私はダブルで濃厚な時間を過ごさせていただきました。同級生のみなさんありがとう!そし喜納昌吉さんとチャンプルーの皆さん再開最高でした。沖縄での神楽出演、浜田での久々のコンサートの実現等夢が続きます!